みなさんお元気ですか?
森和田のあきたかです😄
今後の予定でも告知しましたが
今年の9/25・26開催の
『淡路島アイリッシュ音楽祭』に
ななな~んと
森和田の出演が決定しました❗❗
そこで…
主催者様から至急
アーティスト写真を送って欲しいと🥰
ところが…
なにぶん素人に毛が生えたような
森和田のこと
カッコいいアーティスト写真など有ろうはずもなく😰
そこで
以前からいつか写真を撮ってもらいたいと思っていた写真屋さんで
アーティスト写真を含めて
今の森和田を記念に撮っていただくことにしました📸
その写真屋さんは
北九州市の若松にある
というお店❗
一階は喫茶店「喫茶ネコノジ」
二階が写真屋さんと雑貨屋さんになっています。
目の前に洞海湾という海が広がり
左手には若戸大橋という赤いつり橋❗
まるでサンフランシスコかエーゲ海にでも来たような素敵なロケーションに囲まれたお店です✨
撮っていただいた日は天候もバッチリで
カメラマンの方の素晴らしいエスコートで
素敵なアーティスト写真と記念写真が撮れました😆
そんな素晴らしい思いの中で
ボクの心には
もう1つ…
とってもノスタルジックな感覚が流れていました。
というのも…
ボクは小学校6年生まで若松に住んでいました。
中学生からは宗像市ですが
若松には子どもの頃の色んな思い出が残っています。
ボクが若松に住んでいた頃は
日本の高度経済成長期で
環境やエコより経済発展が最優先でした❗
近くにはまだ炭坑がありましたし
洞海湾を挟んで向かいの八幡には
新日鉄の工場群が何本もの赤白煙突を立てて
昼夜問わず赤い炎と灰色の煙を立ち上らせていました❗
おかげで空は光化学スモッグで連日灰色の曇り空。
毎日のように子どもたちが喘息で死んでいましたし😢
工場排水は洞海湾に垂れ流され、ボクが小学校4年生の頃…
洞海湾は世界で一番汚れた
『死の海』に認定されました😫
ボクの子どもの頃の洞海湾は
抹茶ようかんのような色で…
工場排水と生活排水と汲み取り便所の汚水と石炭のカスが混ざった
なんとも例えようもない感じでした💦
もちろん魚などいるはずもなく
ただただ
大量のふなむしという
海のゴキブリのような虫が
岸壁を走り回っていました😧
さらに…
時代は移ろい
高度経済成長期が終わり
鉄の時代から電子機械の時代へと
変わっていくなかで
『鉄冷え』という不況が北九州市を覆い
新日鉄の煙突の炎も
一つ消え…また一つ消えて…
失業者が毎日のように若戸大橋から身を投げ…
子どもだったボクたちは
怖いもの見たさで現場を覗きに行ったり…😨
…そんな重く暗い空気を感じながら育ちました。
そのうちボクは中学生になり
宗像市に引っ越しましたが
若松のことは心のどこかでいつも気になっていました。
というのも…
何か用事で若松を通る度に
ボクの目に若松の町は
時間が止まったように映っていたからです。
言い方は悪いんですが
何一つ発展しない
何一つ発展できない
発展していくきっかけさえ失った
まるで…
時代の流れからすっぽり抜け落ちてしまった町のように感じて
心がチクチク痛んでいました😣
でもボクは気づいていなかったんですね。
新日鉄の跡地は スペースワールドになり
響灘緑地では リサイクルの取組が行われ
北九州市は街を上げてエコに取り組む
一大環境都市へと生まれ変わっていったのです😆
もちろん若松もその一つの町として新たな取組を行い
洞海湾岸を整備し直し、今に至っていたんです❗
若松を含めて北九州市は
かつての負の遺産である
『公害都市』や『死の海』というレッテルから目を背けずに
その反省に立って
エコに取り組んだんですね。
おかげで死の海だった洞海湾にも魚たちが戻って来ましたし
おかげで素敵なボクのふるさとになって
今回の写真撮影の運びに至ることが出来ました😆
最後にボクは
こんなことを思っています。
実は…
公害で汚れ切った
あの頃の北九州市や若松も
ボクにとっては
いとおしい思い出なんです。
でも
少しずつでも前進し、変わって行く町を見て
ボクは改めて思うんです。
経済成長という富を失った結果
生きとしいける全てのものに必要な
かけがえのない豊かなものを
この町たちは手に入れたんじゃないかなぁって✨
そして…
失わないと気づけない人間の愚かさと
だからこその人間のいとおしさを
しみじみ感じます🍀
今回の撮影は森和田の今をしっかり写し出してもらっただけでなく
ボクの生きて来た歴史からの学びも写し出してくれました😊
みなさんにも
かけがえのない思い出がありますよね?
今を生き、これからを生きて行くために
ちょっと振り返ってみると
今まで気づかなかった
素敵なものが見えてくるかも知れませんよ。
ではまた。
みなさんお元気で😃
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